彼女と踊る、夢を見た

 

名古屋のホテルでおちあおうと約束したらしい

 

ダンスホールで彼女と再開して、二度ほど踊った

 

不思議なことなんだけど、夢の中で私は

 

「彼女は今晩、名古屋に泊まるつもりで東京から来ているのだろうか?」

 

と考えていた

 

私はその日のうちに広島に帰りたかった

 

そういえば、夢の中の彼女は、あの晩ホテルに泊まったのだろうか

 

虫の知らせというが

 

良いことも悪いことも起こらないでほしい

 

よみがえった記憶が静かに海にかえるまでそっとしておいてほしい

 

 

いつか、泣きながら消えゆくのはとてもつらい

 

今のうちに泣けるだけ泣いて、泣くことに飽いておこう

 

そう思っても、また泣いてしまうのだとしても

 

自分はここのところ、分かれ道でずっと佇んだままで、動けないからそのへんに生っているバナナを売って糊口をしのいでいるのだが

 

突然ですが、私は、高校時代に全く勉強していなくても入れたような大学を、さらに悪いことに、5年目の夏に退学しました。

 

でも、今は外資系の日本ブランチ(ゆえにハードですが)で、そこそこの給料をもらえるようになりました。

 

(この、退学から今日までの間の話は、またいつか書きます)

 

そこそこ、と言っても、上を見るとキリがありません。トップレベルのエグゼクティブの間でいう「そこそこ」はもっと上でしょうが、私が言っているのは日本の大手企業の課長クラスの平均くらいです。

 

だけどそれは今現在に限った話で、退職金もないし、今後の昇給カーブが減衰するのは目に見えているし、日本の企業で定年と言われる年齢に向けて負荷が軽くなっていく見込みは、上司を見ている限りありません。むしろ逆でしょう。それに、今後のテクノロジーのトレンドから見ると斜陽産業になりえる可能性は低くないので、日本撤退だってありえます。

 

とはいえ、自分の学歴やバックグラウンド、専門性(のなさ)などから考えると、よくここまで来られたな、というささやかな感慨のようなものはあります。

 

それに、私が踏みにじったり裏切ったりしてきたものの多さや大きさを考えると、そこそこの現状でも罪のように感じる時もあります。あの頃があるから今がある、なんてとても思えません。

 

今は、これから先も同じ仕事を続けていくのか(いけるのか)、別の道を歩むのか、とても悩んでいます。

 

何が道しるべになるのか、まだわかっていません。

 

旅は人生の道しるべ、なのでしょうか。

 

「心の旅」なら毎晩しているのですが。

 

寝苦しい夜

 

長い休みの暑くて静かな午後、眩しすぎて直視できない新しい命

 

佐伯さんの死(海辺のカフカより)

 

失うことへの恐怖

 

物置へしまうしかなかった気持ち

 

寝苦しい夜は、それらがぐるぐるとかわりばんこにやってきて

 

繰り返し揺らぐ時間の流れのなかで

 

ぐしゃぐしゃになったタオルケットのせいで背中が痛い

 

動きたくない

 

眠りたくない目覚まし時計は朝を待つ

 

 

私はなんとか生きのびている

 

あなたが私にがっかりさせられるようなことがあったとしても

 

それはあなたのせいではないのです

 

私はこれまで何十年間も、あまりにも多くの大切なものから目を背けすぎたのです

  

私が夢みた、実在すると信じていた世の中と

 

私が気付いた、この世の営みとの間には大きな隔たりがある

 

そしてが学んだかぎり、気づいた私が歩み寄るしか

 

その隔たりを埋める方法がない

 

それはとてつもなく悲しいことであり時間がかかる作業である

 

僕は眠りの操車場を通じて、夢と現実のふたつのパラレルワールドを行ったり来たりする 問題はもう一方の”ワールド”で何が起こっているか?だ そして操車場でもう一方の”ワールド”を捕まえられなければその日はあっちへは行けない

 

返せていない、今となってははした金のいくつかの借金

 

取に行くと8千円と言われた、自分の誕生日用のチョコレートケーキ

 

足りないお金

 

入口のわからない病院(のような施設)

 

カー用品店やコンビニ

 

前妻に買ってあげたIQOS

 

古い友達

 

いつ終わるともなく6時間は見ていた夢

 

現実が夢に喰われてしまいそうな錯覚を、目が覚めたときに感じた

 

危うい感じはしないけれど、確実に何かがどこかで相互に繋がっていて

 

現実と夢のどちらか一方だけを、無責任に変えてしまうことはできない

 

取り入られる恐怖はない

 

目覚めた時の、まだ夢の中にいたかったのに、という気持ちもない

 

ただ、それらは、深い階層で無意識に同時進行していて

 

眠りという操車場のようなものを通して

 

カチリと切り替わっているのだろう

 

 

現実の中で眠っている僕の体は自由意思を持たない

 

起きている間、夢の中では何が起こっているのだろう

 

今晩あの操車場で捕まえることができなければ

 

夢で逢うことはできない

 

彷徨う僕の魂

 

このまま書き続けたい

 

しかしもう時間だ

 

昼間を生きる現実の僕は、仕事の時間だ

仕事中に思い立った49日目

長いブランクを経て、突然書こうと思ったのは、自分のための文章を書きたかったから。

 

自分のための文章を書きたいという気持ちは、雑念があると芽生えない。

書くことによって自分自身をあぶりだしてみたい、という気持ちが自分のための文章を書かせる。今日の天気も、少しはその気持ちを手伝っているのかもしれない。どんな天気かというと、窓を閉めているのに湿り気を帯びてひやりとした風が首の後ろを撫でるような、梅雨のある日のような天気だ。

 

ブログタイトルを少し変えた。本音を入れてみた。僕はどこかにある伝統ある大学のキャンパスで、眩しい盛夏の日差しと濃い緑の中を歩いている。就職予備校としての大学ではなく、純粋にアカデミックな夢だ。ただその情景に憧れ、将来働くためではなく、今それを探求したいがための勉強。

そういう大学を卒業した記憶と誇りがあれば、それからもずっと、僕はアカデミックな人間でいられたかもしれない。そうすると、アカデミックな人生を送ることができたかもしれない。

 

僕はそこに恋い焦がれるがあまりに途方もない嫉妬をし、あげく、そこから距離を取りすぎた20代を左だけ見て奔放に過ごした。

 

30代は転職がうまくいかなくて、就職予備校としての大学を中退したことを右斜め方向から呪った。

 

40代になって普通のサラリーマンという職業に落ち着いて、安定はしていないが食べるに事欠くことのない程度の収入を得るようになると、アカデミックな人生やアカデミックな人間に激しく憧れるようになった。3年前の夏に旅行した京都や、その後の奈良の影響は否定できない。

あそこらには、そこはかとなくアカデミックな雰囲気が漂っており、良い会社に就職するために良い大学へ行く、のではなく、アカデミックな環境に浸って木陰で本でも読みたいからそのような良い環境の大学へ行くのであって、またそういった場所~プレイス~に属することが美しくアカデミックな人生のひと時を切り取る、という、あ、今ちょっとあっち側へ行って素敵な煌めきに遭遇して帰ってきたな、と今まさに思えるような着想に帰結する瞬間そのものが憧れが形をとって現世に表れたということの証明である、というような。

 

文章が厳しい状況になってきたので、ここで一旦仕事にもどります。

 

固い殻を砕く

 

ダークサイドを書こう。

 

よっちゃんが生まれてきたことは、僕にとっては、これまで守ってきた自分のペースの穏やかな生活にとって、ある意味では脅威に近い。

 

だけど、”今のところ”、僕の心の殻を砕くほどの力はない。

僕の心は、それを力任せに跳ね返している。

もちろん、そのちからは目に見えないところで働いている。

力任せに、と言ったのは、結果的にそれをうまく表現することが今はできないから。

その証拠に、僕は彼の命を慈しみ、彼を愛している。

 

言い換えると、僕の心とよっちゃんの存在は調和できずにいる。

雨が地表にしみ込むようにはいかない。だから僕の心は芽を出さないでいる。

 

よっちゃんの存在は、いつか僕にとってもっと強い力を持つだろう。

僕がこのまま殻を強くし続ければし続けるほど、砕かれたときの衝撃は大きい。

そして、言うまでもなく、よっちゃんは育っていく。

僕はその突然の衝撃に耐えられるだろうか。

あるいは、破壊されてしまうのだろうか。

 

殻が無残に砕かれた時、生身の僕はとても耐えられないだろう。

 

僕が置かれている状況は、数百年の歴史の中で作家たちが語ってきた壁とそれにあたって砕ける生卵の物語とは、直接の関係はない。

 

だけど、僕を覆う殻はまぎれもない”壁”であり、

よっちゃんの存在や、生まれて数ヶ月も今彼が僕に投げかける微笑みはまぎれもない生卵だ。

 

この関係性(もしくはメタファー)を文章として整理するのは、

また今度の機会にしなければならない。もうすぐ始業だ。

 

もしかしたらなんの関係もないかもしれないそれらの事柄を、

僕はもう少し深く考えてみる価値があると信じている。

 

僕をこの世につなぎとめる、今のところ唯一の手段だから。

 

44年後

 

いま僕が思うように、やがてよっちゃんも未来を憂い、巡り会う家族を愛し、なにかを失うことを恐れ、世界が悲しみで満ちていることに絶望するのか。

 

よっちゃんがいることで未来はつながり、彼は僕の未来に対する期待を受け止め、僕がそうだったように歩き始める。

 

僕が小学校に入学したとき、すべてはまっさらに新しかった。

 

学生服を買ったお店でもらったおまけは、小さなホワイトボードと水性ペンのセットだった。

 

嬉しくて坂を上がり、道路に座って東に見える山と海を描いてみた。実際に描いたかどうかはよく覚えていない。覚えているのは、真新しい水性ペンのインクの匂いと、小さなホワイトボードが真四角ではなかったこと、そして、萌える新緑の香りだけだ。僕は、あのときの僕自身をすぐ後ろから見ていた。そしていまも。

 

とにかく、何もかもが輝いてまっさらに新しい季節だった。

 

母は、父は、人々は、何を思っていたのだろう。父になった僕は今何を思うか、僕自身に問うてみたが答えはない。

 

眩しかった時間が、僕の影をよりいっそう濃く彩っただけだ。