魚の骨

 

えっちゃんは、よっちゃんがいてとても嬉しそうで

 

自分が母になることを望んでいたし

 

母としての役割を引き受けてそれを全うできることがとても幸せそうだ

 

それを見ていて私自身も良かったとおもえる

 

父も母も、親戚も、他人も、みんな喜んでくれ

 

それが正しいことだったかのようにふるまってくれている

 

でも、魚の小骨のような感情が私の心に引っかかったままだ

 

私たちはゼロから新しい試練を引き受けてしまったのではないか

 

よっちゃんは心たくましく育ってくれるだろうか

 

お金に困らないだろうか

 

心無い人から言われのない仕打ちを受けないだろうか

 

彼が必要とするときに、私は彼を支えてあげられる立場にいるだろうか

 

皆、私と同じように、青と白がないまぜになったような気持ちで

 

起きたことを受け止めて、つとめて明るくふるまってくれているだけではないか

 

皆、私と同じではないのか

 

私だけが知らないのではないか

 

誰もが幸せそうで、よっちゃんも幸せそうで、今日は一度きりで

 

心に、冷たくも熱くもない、ひとかかえの風が吹いた

 

風が、それはおまえが発明した感情ではないとささやいた

 

夏がチェックアウトの準備を始めた気がした

 

私はいつから、誰にも頼らずに生きてきたんだろうか

 

現実が夢に喰われて

 

真昼間に、仕事をしながら、夢で起こった出来事を現実のことのように心配している。

 

しまいには、自分が心配していた事が夢の中での出来事だったのか、

 

それとも、現実だったのか、

 

そもそも、なんだったのかさえ

 

わからなくなる。

 

そんな混乱に紛れて、現実に起きた重大な出来事を僕は忘れてしまってはいないかと

 

とても不安になる。

 

でもそれらは決してすぐには僕の意識の中には戻ってこない。

戻るべき情景

 

それは夏の盛りの少し前で、台風がそれて雨が降る日。

 

プールの更衣室を思い出す、雨に煙る湿った大気。

 

知らない街の遅い朝。

 

遠くの空に吸い込まれる煙草の煙。

 

彼女は僕の少し後ろに座っていた。

 

彼女の茶色のサンダルも、声も、僕のTシャツも、僕らをとりまく大気や物事も。

 

なにもかもみずみずしく透きとおっていた。

 

絶対にもどらない時間。

 

あともどりできないふたつの王国

 

むかし、ひとつだった王国は、お互いの意見は一理ある、相互に経緯を払う価値がある、と思いながらも、ふたつの異なった道を歩み始めた。

 

その時は、お互いが手を伸ばせば届く程度の距離だった。

 

しかし、ふたつの王国は自らの信じた道をまっすぐに進んだ。

(それはむしろ喜ぶべきことだったはずだ)

 

そして何年もの月日が流れ、今ふたつの王国は、互いの居場所がわからなくなるくらい遠く離れてしまい、手紙でしかその近況を知ることができない関係になった。

 

中略

 

もしそこに救いがあるとすれば、地球は丸いということ、そして、宇宙の謎が完全には解き明かされていないことだ。

 

それが地球である限り、離れ離れになったふたつの王国が歩む道は、いつかどこかでまた交わる。

 

その時は一瞬だ。我々は遠くまできてしまった。

そのときこそ、慣れ親しんだあの家に帰ろうではないか。

我々にはそれができるはずだ。

 

 

直視できない清らかなもの、

 

そういうものが誰にでもあるのではないでしょうか。

 

私は、今、あります。

 

それは望んで(あるいは自分自身で選んで)手にしたものだけれど、

 

直視できないほど、小さくて無垢な世界を、私の意図とは別に創造してしまいました。

 

それは一過性のものかもしれませんが、時として私自身を蝕んでいます。

 

私はその鎖に繋がれているだけでなく、もがく気力さえなくなっているのです。

 

真に純粋無垢なものが、自然や山のように乱暴で脅威であることを、私は今、知りました。

 

「貧しい」と「清貧」のちがい

 

貧しさは常に清らかである、という幻想を捨てよ

 

でも、「買ってもらおうね」や「買ってもらったの」は素敵なことばだ

 

私はいつもそちら側にいたい

昔自分が変わるきっかけをくれたある人に会いたいんだが

そのひとの行方がわからない。

 

正確には、ネットで2007年頃までの足取りは掴めるが、それから先がわからない。

彼は大学の先生をしている(正確にはしていたが今はわからない)。

 

出会った当時、私は中古車のセールスをしていて、彼は客として店に来た。

たしか月曜で私の店は休みだった。

私は週末に売った車の登録手続きを急いでいたから、ひとり店に出て仕事をしていた。

 

彼は奥さんと歩いてやってきた。暑いさかりだった。

教える大学をかわったから近所に越してきたということだった。

清廉で聡明な雰囲気の奥さんも、あとできけばなるほどと思うような職業をされていた。恥じるべき価値観のまったく漂わない(即物的なところがまったくない)雰囲気で、私はすぐに彼らに好意を持った。

 

彼は(なぜかわからないが)お互いの仕事中にも関わらず、私をよく食事に誘った。

いまでは考えられないことだが(それは2000年以降の出来事だから当時でもおかしい)、昼に私の店の近くのうどん屋へ出向いてふたりでビールを飲んだ記憶さえある。ちなみに私は顔に出やすい。しかも”販売員”で、店の看板は日本を代表する有名な自動車メーカーだ。

 

家にも招いてもらった。

奥さんが良い(高価という意味ではない)食材を使って作ってくれた調理度の高すぎないさっぱりした料理を振る舞ってくれたが、私はそこへ行く途中で山の斜面にあるこれまた別の奥さんと思しき女性が経営しているレストランで、ビールとミートローフを食べたばかりだったから、断ってしまった。