久しぶりに電話があった

 

ひとの人生には入っていけないと思った。

 

みんな、自分の毎日を受け入れて生きていて、他人の入り込む余地なんてない。

 

人生は基本的にダークだから、とアンディが言った。

 

みんな、朝日が昇ってはじめて、それに恋い焦がれていたことに気づくんだ。

 

 

人生100年の仕事

 

新たな価値を創出する仕事というと、広義すぎて袋小路に迷い込む。

 

ひとの価値観は様々で、幸せへの欲望は無限に増幅し、その名のもとにはびこる力があり、その利権が価値という言葉にすり替えられる。家族の役に立っている、という立て付けは少しちがう。

 

困っている人の役に立つ仕事というのは、逆に狭義であり、困っている人の利益になることがわかっていて手を差し伸べるわけだから、すり替えが効かない分だけ手触りはリアルだ。

 

よっちゃんにどう伝えようか。

 

僕は今、価値を創造すると謳う仕事についていて、それを自分の言葉に置き換えられず、かといって困っている人の役に立っているかといえば、どちらかというとはびこる力に利用されている現実をそのまま受け止められず、彼らの役に立っているという言葉にすり替え、舞台に立ってありがたがられる役を演じ、観客が喜んでいるのかわからないままでその物語は飾り立てられた手触りのないクライマックスを何度も迎える。袋小路に迷い込んだまま、何年かが経とうとしている。昨日も、今日もそうだ。そして明日も。

 

一事が万事というけれど、オリンピック代表に漏れた彼女を思うとそれはあまりにも残酷だ。僕は、今この手に抱えている重たいものでさえ、人生の一部、僕の一部でしかなく、それだけが人生や僕自身を左右するものではないのだと、むしろ信じたい。

 

40分の車通勤では本当に色々なことを考える(歯車)

 

人数の少ない集団では、個々が様々な人格を演じなければならない。

 

人数の多い集団では、個々がそれぞれの人格を貫き通しても物事が成立する。

 

夫婦だけで切り盛りしている個人事業主も、何万人という社員を抱える大企業も同じ。

 

人数に関係なく、演じられる人格の種類と割合は同じだろう。

 

社会は、本当に様々な要素で、いくつもの大小の歯車がかみ合ってじわじわと動いている。

 

それは複雑で巨大な仕掛けに見えて、実は単純極まりない構造である。

 

そして歯車の組み合わせによっては摩擦やリズムの違いを生む。

 

しかしそれらの不都合は、大きな歯車を回す力によってねじ伏せられる。

 

ひずみはひずみとして存在し、それを生む小さな歯車の歯は欠けたりすり減ったり、歯車自体が反ったり脱落したりする。

 

そうやって、この途方もなく大きくそして単純な機械仕掛けの世界は、今も、ギュウ、ギュウ、と物理の中で生きる人々の思いを噛み込み、大きな歯車のリズムで回っていく。

 

無数の小さな歯車は思い思いに回るが、それらが同じリズムで一斉に回り始めたら、大きな歯車の力をねじ伏せることができるだろう。

 

ねじ伏せられた大きな歯車の歯はボロボロにかけるか、全体が反り返り、これまでのようには回ることができなくなるだろう。

 

その時に、物理を超えて何が起きるか、我々にはわからない。それは人間の仕業であり、人間の思念は物理を超えられるはずだから。

 

とにかく、今もこうして絶え間なく回っている無数の歯車の組み合わせでできたこの世界は、ついさっきも、反ってしまった歯車や欠けてしまった歯車を、宇宙の底にバラバラと落としながら、少し離れてみれば全体としては優雅な旋律で、さもそれ自体がバランスをとっている”かの様に”回っている。

 

(続く)

 

 

憧れた車たち(JZZ30)

f:id:lafhr188:20180205191804p:plain

若くに結婚して間もない頃、峠や仲間と距離をおいた時期があった。誰もが通った道だと言われたら返す言葉もないが、家族を一人にしておけなかった。そんな時に、ちょうど30系ソアラのマイナーチェンジが行われた。 いずれはその時乗っていた車のローンを完済して、JZZ30の2.5GT-Tの5速マニュアルを新車で(ローン)買おうと思った日もあった。彼女も、それいいね、それまで我慢すればいいじゃない、と言ってくれた。

 

それもつかの間、僕はまたサーキットに戻ってきた。そういう蜜月は束の間ということだろう。あるイベントへの出場が決まったことを機に、全体的にヤレてしまっていたJZA70をリフレッシュしたくて、腕が良いという噂の大工さんのところへ預けた。敷居の高いところだと思っていたが、仲介してくれた年配の男性は気さくで、すぐに本人に会うことができた。そこで僕は、部品が出る限りのブッシュを新品に変え、エンジンを走行距離の少ないものに載せ替えた。そして、いくつかの補記類を新調した。

 

その車は見違えるようにしなやかで反応の良い運動性能を取り戻した。新車当時はもっと良かったのかと驚いた。峠を軽く流している時でもその効果ははっきりとわかった。その人はエンジンスワップを得意としていたから、僕の車に施した作業は地味なものだったと思うけれど、僕はその時、傷んだブッシュを交換するという味気ない作業の効果がとても大きいことに唖然とした。

 

その大工さんが普段の足として乗っていたのがJZZ30、1JZ-GTEを載せた深緑の初期型のソアラだった。特に弄っているわけでもなく、車高も落ちていなかったと思う。BBSのRSを履いていて、あまり洗わないせいか薄っすらと埃を被っていた気がする。

 

それから僕は、深緑のソアラに一目おくようになった。もし今の僕が選ぶなら、2.5GT-TではなくUZZ30、すなわち4リッター自然吸気エンジンを積んだ4.0GTの方だろう。あの後で最終的にT67による加給を得たJZA70や、エンジンの中身まで触ったSR20にRB26DETT、珠玉のS65を乗り継いできた僕だからこそ、たっぷりとしたトルクで低く美しい音色を奏でながらゆったりと走る、その深緑の4.0GTの方が、家と仕事場の往復だけの毎日に合っている気がするから。

 

本当は新緑の2.5GT-Tを描きたかったけれど、モデルにした写真の色合いを変えてまで深緑を表現する力が僕にはなかった。

 

その車のいちばん良いところ、気に入ったところを最大限に表現するのが僕の拙いイラストの信念なのだが、至らなかった自分が情けない反面、途中で挫折しそうになったけれど持ち直したことは素直に褒めてやりたい。

 

自分に中から生まれて来たものを生きろ

1日24時間振り返ってみると、ほとんどのことは自分で選んだことではなくて誰かにやらされていることばかりです。

自分で選んだことをやらないと。

ってこれは先人偉人が異口同音に言ってきたことです。

大事なのは、なんとなくわかるわかる、って言ってることじゃなくて、今まさに100%実感したということです。

 

クルマ原風景その3(GX71三兄弟)

f:id:lafhr188:20180113162857p:plain

 

中学から仲の良かったそいつは、僕が大学一年生の夏にはもう地元大手に就職して自分の車を転がしていた。

そいつの車は、トヨタチェイサー アバンテリミテッド。

その超クールな4ドア・ハードトップは、当時の若者が100万円くらいで買える型落ちのモテグルマの筆頭だった。

 

ちょっとヤンキー風なアイツは目つき鋭く大人ぶったセダンボディのクレスタ。いつも真ん中にいた二枚目のあいつはマークII。それなら俺は、エレガント(英語?)でスマートさの象徴の如きチェイサーか?というような、仲間内で選ぶのも楽しい三兄弟だった。

 

その1を読んで頂ければお分かりだと思うが、この頃の僕は自分の車の頭金を貯めるたのに必死だった。そして、一足先に自分の城(家じゃないが)を手にしたそいつが心底羨ましかった。

そいつは、ワークの5本スポークのアルミホイールを履かせたそのチェイサーで、僕を(当時まだ手書きの)地元のボーリング場に連れて行ってくれた。そして、タバコ一本どう?とタバコを勧めてくれた。僕は(「もちろん大学では吸ってるけどね。今日は持ち合わせてなかっただけだからさ」)という感じを装って吸ってみせたが、きっとそいつにはバレていた(当時19才だけど時効)。

自分の車をかまう(カスタマイズする)ということに関しては、その時のことが原風景だろう。そいつはビール瓶のような色をしたガラス容器入りの、赤と青のお洒落な芳香剤をダッシュボード中央に並べて飾っていた。タグのようなものがブラさっていた。

それがかっこよかった。

そして、ウッドのステアリングとカロッツェリア(パイオニア)の2DINのCD&カセットテープのオーディオに換えていた。それもかっこよかった。

さらに言うと、今思えば何がどうかっこいいのかわからないが、猫背で11時05分定位置の送りハンドルで捌くその運転スタイルも、かかっていた曲(Too Shy Shy Boy)も、惚れるほどかっこよかった。

とにかく、何もかもがかっこよかった。

 

僕はこの原体験から数ヶ月後にようやく自分の車を手に入れるわけだが、そいつのチェイサーは、言うまでもなく僕の車選びに大きな影響をもたらした。

その頃のC33ローレルのパールツートンといえば、初期型のそこそこのものでも100万では買えなかった。対して、一世代前になるGX 71ならば、100万円出せば最終型のリミテッドも夢ではなかったからだ。

僕は結局はローレルを選んだわけだが、それでも、ガソリンスタンドを訪れる、固形ワックスでピカピカに磨き込まれ、綺麗な(ちょっとヤンキーの入った)女の子を乗せたGX71を見るたびに、僕はうっとりしたものだ。

磨かれた白いボディにあの端正なサイドのプレスラインと、滴るほど黒いモール、そしてテールランプの真っ赤な輝きは、今も僕を魅了するかっこいい車の原風景として心の中を走っている。

 

うーん、もうすこし書きたいことがある車だな。