車輪の上

蜂の巣を取り除いた。

 

それはえっちゃんが使っている小さなドイツ車の、右の後ろのタイヤハウスの壁に、一ヶ月くらい前から親たちが一生懸命こしらえた、恐らくは土と蜂たちが出す粘液で作られていて、先週末にムカデバサミで突いたくらいではビクともしなかった。

 

僕は今日、スコップを持ち出した。土をすくい上げる部分が四角で、角が90度に尖っていて、巣はいとも簡単にこそげ落とせそうだった。

 

実際にそれは脆い土の塊のように、なんどかえぐれば取り除く事ができた。

 

そういえば、ここ数日は親蜂たちが姿を見せないとえっちゃんが言っていた。

 

巣をこしらえて力尽きた親蜂たちは、どこかへ行ってしまったか、その短い一生を終えたのかもしれない。

 

そうやって巣を完全に取り除いたあとに、レンコンのような跡が車体に残った。

 

柔らかい幼虫たちが入っていた部屋。

 

幼虫たちは10匹くらいいただろうか。そんなことをしても意味がないのに、幼虫たちに傷をつけないように、スコップの先でそっと引っ掛けて地面に落とした。そして、水道の水で綺麗に流した。

 

幼虫はよっちゃんと何が違うんだろう、と思った。

 

何も違わないような気がして、少し吐き気がした。

 

そして、にこにこと笑うよっちゃんをお風呂にいれた。

 

 

孤独のいれもの

 

約20年を経て、孤独の所在は、僕と言う人間(個)の中から、家族の中へと帰るだろう。

 

とはいえ、そこは20年前とはまったく別の場所であり、当時の名残はない。

 

その中は白い壁紙が全てを覆い、外にはびっしり生えそろった繊毛をぞわぞわと動かす虫たちが巣食う真四角の庭に囲まれている。

 

水は外へは流れない。

 

あらゆるものが例外なく四角に切り取られて隙間が無い。

 

あるいは隙間しかない。

 

 

 

 

 

魚の骨

 

えっちゃんは、よっちゃんがいてとても嬉しそうで

 

自分が母になることを望んでいたし

 

母としての役割を引き受けてそれを全うできることがとても幸せそうだ

 

それを見ていて私自身も良かったとおもえる

 

父も母も、親戚も、他人も、みんな喜んでくれ

 

それが正しいことだったかのようにふるまってくれている

 

でも、魚の小骨のような感情が私の心に引っかかったままだ

 

私たちはゼロから新しい試練を引き受けてしまったのではないか

 

よっちゃんは心たくましく育ってくれるだろうか

 

お金に困らないだろうか

 

心無い人から言われのない仕打ちを受けないだろうか

 

彼が必要とするときに、私は彼を支えてあげられる立場にいるだろうか

 

皆、私と同じように、青と白がないまぜになったような気持ちで

 

起きたことを受け止めて、つとめて明るくふるまってくれているだけではないか

 

皆、私と同じではないのか

 

私だけが知らないのではないか

 

誰もが幸せそうで、よっちゃんも幸せそうで、今日は一度きりで

 

心に、冷たくも熱くもない、ひとかかえの風が吹いた

 

風が、それはおまえが発明した感情ではないとささやいた

 

夏がチェックアウトの準備を始めた気がした

 

私はいつから、誰にも頼らずに生きてきたんだろうか

 

現実が夢に喰われて

 

真昼間に、仕事をしながら、夢で起こった出来事を現実のことのように心配している。

 

しまいには、自分が心配していた事が夢の中での出来事だったのか、

 

それとも、現実だったのか、

 

そもそも、なんだったのかさえ

 

わからなくなる。

 

そんな混乱に紛れて、現実に起きた重大な出来事を僕は忘れてしまってはいないかと

 

とても不安になる。

 

でもそれらは決してすぐには僕の意識の中には戻ってこない。

戻るべき情景

 

それは夏の盛りの少し前で、台風がそれて雨が降る日。

 

プールの更衣室を思い出す、雨に煙る湿った大気。

 

知らない街の遅い朝。

 

遠くの空に吸い込まれる煙草の煙。

 

彼女は僕の少し後ろに座っていた。

 

彼女の茶色のサンダルも、声も、僕のTシャツも、僕らをとりまく大気や物事も。

 

なにもかもみずみずしく透きとおっていた。

 

絶対にもどらない時間。

 

あともどりできないふたつの王国

 

むかし、ひとつだった王国は、お互いの意見は一理ある、相互に経緯を払う価値がある、と思いながらも、ふたつの異なった道を歩み始めた。

 

その時は、お互いが手を伸ばせば届く程度の距離だった。

 

しかし、ふたつの王国は自らの信じた道をまっすぐに進んだ。

(それはむしろ喜ぶべきことだったはずだ)

 

そして何年もの月日が流れ、今ふたつの王国は、互いの居場所がわからなくなるくらい遠く離れてしまい、手紙でしかその近況を知ることができない関係になった。

 

中略

 

もしそこに救いがあるとすれば、地球は丸いということ、そして、宇宙の謎が完全には解き明かされていないことだ。

 

それが地球である限り、離れ離れになったふたつの王国が歩む道は、いつかどこかでまた交わる。

 

その時は一瞬だ。我々は遠くまできてしまった。

そのときこそ、慣れ親しんだあの家に帰ろうではないか。

我々にはそれができるはずだ。

 

 

直視できない清らかなもの、

 

そういうものが誰にでもあるのではないでしょうか。

 

私は、今、あります。

 

それは望んで(あるいは自分自身で選んで)手にしたものだけれど、

 

直視できないほど、小さくて無垢な世界を、私の意図とは別に創造してしまいました。

 

それは一過性のものかもしれませんが、時として私自身を蝕んでいます。

 

私はその鎖に繋がれているだけでなく、もがく気力さえなくなっているのです。

 

真に純粋無垢なものが、自然や山のように乱暴で脅威であることを、私は今、知りました。