日曜の夜の洗濯

 

自分のお気に入りのカットソーとタンクトップ、それから、仕事用に買った下ろしたてのソックスを洗濯かごから選り分け、ホームクリーニング用洗剤を使って洗濯機をソフトに設定して洗った。干すのは二階の一室で、乾燥機のタイマーは6時間に設定した。夜中の娯楽的な洗濯だ。

 

カットソーは、チョコミントのアイスクリームのような柄で、タンクトップはグレー。ソックスは、薄い茶色に模様が入っている。

 

自分の大切にしている衣類が愛しい。全部、ホームクリーニング用洗剤で洗いたい。洗えばいいとも思う。そもそも、ホームクリーニングとは名ばかりで、その洗剤を使うこと以外はよく知らない。少し勉強だ。

 

 

今読んでいる超長編小説の第六巻を、楽天ブックスで注文した。火曜には届くようだ。送料のかかる古本より、送料無料の新品の方が安い。

 

読んでばかりではなく、書く方も進めなければいけないと思った。

 

4月15日の食生活

朝はいつも通りオムレツを作り、車で往復1時間もかかるパン屋で先週仕入れて、冷凍しておいたパンを焼く。

 

間違えて無塩バターを買ってしまったため、メープルシロップと一緒にパンに塗ると、どうもお菓子のようなぼやんとした甘さになってしまった。

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昼は、買い物がてらそのパン屋で一週間分のパンを買ったついでに仕入れた惣菜パン三種を奥さんと分ける。今日は緑ものが挟まれたパンが売り切れていたので、冷蔵庫にあったサニーレタスを添えた。

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夜は、奥さんが作った鶏水炊き風。これだけは贅沢した、馬路村のポン酢でいただいた。普通のポン酢の2倍の値段だったが、昔よく泊まった山間の温泉地を応援するつもりで買った。

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春を集めたような匂いが高くとられた窓から入ってきた

 

それはどこの話かというと、会社のトイレの話。

 

理由は知らないけれど、高くとられた窓から入ってくる風はいつも、手ぶらではやってこない。

 

あるときは、懐かしい母の香水の香り、あるときは四季折々の植物の香り、そしてあるときは。

 

建物と建物の間に渡された廊下のあたりで、風が舞うのだろう。

浜松駅前にて

土地が平たい

風が吹いている

暖かい

時間の流れが(住んでいるところに比べて)緩やか

 

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人々の顔つきが(住んでいるところと)違う

 

僕のような個人的な人間が、心身のバランスを健全と言えるレンジで保ちながら生きていくには、生活環境の多様性を保っておくことが重要だ。少しづついろいろな毒を取り入れて体や心を慣らしておく。自分の体の中のジャイロでは、大きなインプットに対して弱くて、精神や体全体が揺さぶられてしまうから。

 

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日本を代表する企業の一件を思う晩ごはん

 

仕事でもプライベートでも、大企業には直接的な縁のない自分です。

そんな目線で、自分なりに最近よく耳にする一件を考えました。

僕がとても小さい人間だという前提で書きます。


突如として経営の悪化した超一流大企業の経営陣が、これまでどんな人生を歩んでその立場に到達したか、想像してみる。大企業に就職して安定を得ること自体が大企業に就職した理由だとしたら、入社した時から重度の大企業病に罹っていたということだ。

 

そして、僕自身がそういう人生を歩んできた経営陣のひとりだと仮定する。そうすると、今の状況は想像に易い。慌てぶりも想像できる。あなたはその会社の経営陣ではないし、なれるわけもないという人があるかもしれない。でも、それは規模や難易度、責任の大きさの問題ではないような気がする。

 

それは、そんな状況になるまでに、どのように準備をしてきたか、に尽きる。

あるいはどのように準備をしてこなかったか。

 

それまで優勢だったオセロの駒が、どんどん相手の色に変わっていく流れをどうやっても止められない、という経験をした人はたくさんいるだろう。潮目が変わる、というやつだ。そうだ、潮目は必ず変わる。いわゆる日本の大企業と言われる会社や、そこで働いている経営の人たちは、大局的にそういう状況に直面したことがあるだろうか。

 

それまで終始優勢に(あるいは安寧に)勝負を進めてきた人は、夜討ちのような出来事に、損切りをするという決断ができない。目の前の被害も自分のポジションへのダメージも最小限に止めたいし、それが可能だという根拠のない確信から、かえって傷口を広げてしまう。

 

有能で救世主のような役員がいれば・・・と思うかもしれない。でも、そのような人は今のような状況に陥るまでに淘汰されている。救世主が生き延びられるような土壌があるなら、どこかで違う舵取りをしていただろうし、もしそうだとしたら、既存の意味での、日本人が憧れる大企業ではなくなって、もっと外に目を向けていただろう。

 

考えがうまくまとまらないうちに書いてしまったから、言いたいことがぼんやりしている。でも、だいたいこういうこと。

 

あくまでも自分が小さい人間だという前提で書いています。

 

ということで今日の晩ごはん。

汁気の多すぎる牛丼に、賞味期限切れの卵をふたつ入れて卵とじ風にして食べました。

 

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以前の自分ならしなかった買い物

 

よっちゃんが生まれる少し前から、奥さんはスーパーで買った黒いスリップオンを履き続けていました。

 

よっちゃん第一で、あわてているとどうしてもカカトを折ってしまう奥さん。樹脂でできたソールもすり減ってきていました。

 

だから、さっきショッピングモールに寄ったときにあるお店で見つけた春(夏?)らしいスリップオンと、店員さんに選んでもらったそれに合いそうなソックスをプレゼントしました。(しめて3500円でした。高い?安い?)

 

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明日の検診は履きなれたスリップオンで行ったほうが良いけれど、よっちゃんと一緒に近くを散歩するときは、新しいのを履いたらいいよ。

 

よっちゃんが生まれるまでは、奥さんのものをこんなふうに買ってかえることはなかったなあ・・・

 

ついにゴールド免許になりました\(^-^)/

 

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真剣な話、足かけ15年でした。

 

一度目は4年半経過したところで、一時停止見落とし。

 

二度目も4年半経過したところで、こんどは運転中電話。

二度目なんて、まだ信号待ちの間なら通話しても良いなんて思ってましたから。

 

もちろん、安全のために取り締まってくれているわけだから文句はまったくありません。ただ、やっと手にできた喜びと、少しの達成感がありますね。

 

あ、わかりますか?

そうなんです。大学を中退した経験のある僕は、長年の努力が報われるというシチュエーションや、何年かおきの節目自体を渇望するある種のコンプレックスを持っています。

 

したがって、5年ごとの運転免許更新や、その時に良い評価をされる(ゴールド免許になる)と、失われた過去が満たされる気がするのです。いや、実際に満たされる。

 

それを味わいたいがために、わざわざ資格を取りに行ったりということはしません。

生きていく過程で自然に訪れるそれを渇望しています。

 

節目って素敵だな、褒めてもらえるって素敵だな、って、帰りの風は暖かくて緑色で、すべてが一新されたような気持ちになります。

 

あれ、僕はもしかして国家権力に認められることを喜ばしく思う体質なのでしょうか?

小学生の頃に先生に褒められて喜んでいたのと、何もかわらないなあ・・・。

高校受験(進学校だった)に受かったときもそうだったなあ。あれが僕における、最後の「頑張った結果としての成功体験」だったなあ。

 

普段なかなか感じられないことですが、生きていることを実感したり、高校の頃の彼女と花畑を歩いたキラキラした時間が思い出されるくらい、不思議な時間でした。

 

春は何かと心騒がしい季節ですね。

 

ま、半日で我に帰りましたが・・・(苦笑)