この季節の夕方

 

夕方、新緑をふくんで少し湿った風がやけに鼻にとおるこの季節は、高校生の頃の部活動にタイムスリップできる。

 

僕は、44歳になった今でも、16歳のころの部活の練習の最後が終わろうとしている光景の中にいる。

 

俄にけたたましくなる蛙の声、日没で見えなくなってきた灰色のボールをラケットが撫でる「ヒン」という感触、そしてかすかに漂うガットやグリップの匂いを、今起こっていることのように思い出せる。

 

100%ではないにせよ、それらがその時、そこに存在した痕跡のようなものを僕の体や心に残している。そして、行こうと思えばすぐにそこに行ける。なぜその場面なのか、そこに何を置いてきたのかは、わからない。

 

あれから28年の歳月が流れた。残念ながら僕は何も変わっていない。少し几帳面になって、少し言葉と行動を慎むようになって、そしてあのころのお小遣いよりは少し多く自分でお金を稼ぐようになっていて、自転車が車にかわっただけだ。(そして結婚している)

 

負けないことを強く求めたが、強くなることの努力はしただろうか。今思えば、16歳の僕は、宇部のコートで第1シードから2ゲームとった16歳の僕に、果たして勝てただろうか。

 

僕の心はすぐにでもあそこへいける。それはすぐそこにある。

もう繰り返したくないけれど、繰り返さなくていいからこそ思い出せる、あのみずみずしい夜の季節。初夏、梅雨入りまえ。

 

僕は、あのころの僕自身や、夕暮れや、遠くでボールを打った音、雨の予感、人々のすべてを、今も愛している。

 

そうか、僕が高校の入学式に立った同じときに、弟は中学生になったのだ。

 

引退した受験生のおまえを何日も遠征先においておくわけにはいかんのだ、と、今思えば寂しそうに言われて、急きょ泊まったユースホステルを出て下関からひとり電車で帰ったのは三年の秋だのはずだった。雨で順延になったテニスコートは、古いコンクリートのスタンドが黒く濡れていた。夕方だった。ブルーハーツを聴いていた。何かを探して歩いた。

 

その先にはいつも、いきりたった5月の日差しで火照った僕らを、群青色にひたひたとやさしく包む暗闇があった。