仕事中に思い立った49日目

長いブランクを経て、突然書こうと思ったのは、自分のための文章を書きたかったから。

 

自分のための文章を書きたいという気持ちは、雑念があると芽生えない。

書くことによって自分自身をあぶりだしてみたい、という気持ちが自分のための文章を書かせる。今日の天気も、少しはその気持ちを手伝っているのかもしれない。どんな天気かというと、窓を閉めているのに湿り気を帯びてひやりとした風が首の後ろを撫でるような、梅雨のある日のような天気だ。

 

ブログタイトルを少し変えた。本音を入れてみた。僕はどこかにある伝統ある大学のキャンパスで、眩しい盛夏の日差しと濃い緑の中を歩いている。就職予備校としての大学ではなく、純粋にアカデミックな夢だ。ただその情景に憧れ、将来働くためではなく、今それを探求したいがための勉強。

そういう大学を卒業した記憶と誇りがあれば、それからもずっと、僕はアカデミックな人間でいられたかもしれない。そうすると、アカデミックな人生を送ることができたかもしれない。

 

僕はそこに恋い焦がれるがあまりに途方もない嫉妬をし、あげく、そこから距離を取りすぎた20代を左だけ見て奔放に過ごした。

 

30代は転職がうまくいかなくて、就職予備校としての大学を中退したことを右斜め方向から呪った。

 

40代になって普通のサラリーマンという職業に落ち着いて、安定はしていないが食べるに事欠くことのない程度の収入を得るようになると、アカデミックな人生やアカデミックな人間に激しく憧れるようになった。3年前の夏に旅行した京都や、その後の奈良の影響は否定できない。

あそこらには、そこはかとなくアカデミックな雰囲気が漂っており、良い会社に就職するために良い大学へ行く、のではなく、アカデミックな環境に浸って木陰で本でも読みたいからそのような良い環境の大学へ行くのであって、またそういった場所~プレイス~に属することが美しくアカデミックな人生のひと時を切り取る、という、あ、今ちょっとあっち側へ行って素敵な煌めきに遭遇して帰ってきたな、と今まさに思えるような着想に帰結する瞬間そのものが憧れが形をとって現世に表れたということの証明である、というような。

 

文章が厳しい状況になってきたので、ここで一旦仕事にもどります。