クルマ原風景その2(70スープラ)

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ちゃんと数えたことはないけれど、20台近く乗り継いだだろうか。その中で、いちばん心に残っているのは、俗に70と呼ばれているトヨタスープラ

MA70には縁がなかったが、平成元年式GA70ナローボディ(1G-GTEU)、平成三年式JZA70 Limited(1JZ-GTE)と、二台乗り継いだ。

初めて見たのがいつだったかは憶えていない。ただ、大学一年生の時に車を買うためにアルバイトをしていたガソリンスタンドで(たぶんナローを)見たのが最初の原風景。

その時は、(高校生活の反動で)今でいうマイルドヤンキーに憧れていたから、別の車が欲しくて(C33ローレルのパールツートン!)、頭金を30万貯めることに必死だった。大学生でも勤務先の欄にアルバイト先を書いて保証人なしでローンが組めた、古き良き時代だった。といっても、前に書いたお袋のミニカ大破事件で貯めたお金はそっくり消えたけれど。

それから頭金ゼロでローレルを買って、ローンが払えなくなって売り払い、バイクに片目だけ目覚めてXJR400を新車で買ったころ、別の国道沿いの24時間営業のガソリンスタンドで見かけたのがもう一つの原風景。

その時は一つ向こうの給油機に停まっていた姿に、斜め後ろから見惚れた。車高を落として湾岸タイプの羽根をつけた黒のワイドボディだった。今想えば、あの頃からGT系の少し体格の大きな車が好きだった。

 

夜の峠でのドリフトが流行り始めた頃で湾岸ミッドナイトを初めて手にしたこともあって、また自分の車が欲しくなった。ローンで苦い思いをした経験から、月々2万円までの支払いで買える100万円位の過走行車が限度だろうなと思って、中古車雑誌で目についた近所の車屋に電話して見たのが大学二年の正月休み。

その中古車屋が探してきてくれたのが、というか、「オークションに出ていたけどどうする?」と連絡をくれたのは、予想通り、走行距離ちょうど10万キロの平成元年式の黒のナローの5速ターボだった。

ARCというメーカーのブローオフバルブがついていた以外はノーマルのその車に、僕はドリフトができると当時思っていた最低限の改造を施した。

といっても、ノーマルスプリングを切って車高を下げ、ボルクレーシング(現レイズ)の16インチのメッシュホイールのセンターキャップを外して履かせ、マフラーを替え(5次元ボーダー車検非対応)、湾岸タイプの羽根と格安のリップスポイラーを付けただけの初々しい姿。羽根もリップも缶スプレーで塗った。

それからは、キャッツアイで引っ掛けてダメにしたマフラーを替え、TEINの車高調、ハンドル、機械式デフ、全塗装と、時にはローンを組んでどんどん改造して峠に行った。

峠では遅かった。特に雨の日は。それに、周りがどんどんSR系のシルビア・180SXに乗った腕のあるドライバーだらけになっていく頃から、重くて遅い戦闘力不足の動力性能とナローな姿は少し照れくさくて、GA70への愛着は次第に薄れて行った。その頃、普段ドリフトには使わない国際サーキットであった、ある雑記のドリフト大会に出て一回戦負けした。3台1組の団体戦だった。小さい写真だったけれど、カラーで雑誌に載ったのはそれが初めてだった。

それから僕は、国道沿いのとある別の中古車屋の店頭に並んでいた、白のワイドボディに目を留めた。ATの2.5GT Limited、皮シートでサンルーフ付きだった。僕はすでに月10万円以上のローンを抱えた身だったが、結局その車を買った。その頃、ある雑誌主催の有名なドリフト大会に応募して当選したのも、乗り換えを決めた理由だった。

僕は二重、三重にローンを組み、割安で買ったそのワイドボディを5速に載せ替えて、ナローボディの部品を移植した。大会のあったサーキットでその車をちゃんと走らせることができたのは大会一週間前の一度だけだった。

 

(第二部へ続く、と思う)