40分の車通勤では本当に色々なことを考える(歯車)

 

人数の少ない集団では、個々が様々な人格を演じなければならない。

 

人数の多い集団では、個々がそれぞれの人格を貫き通しても物事が成立する。

 

夫婦だけで切り盛りしている個人事業主も、何万人という社員を抱える大企業も同じ。

 

人数に関係なく、演じられる人格の種類と割合は同じだろう。

 

社会は、本当に様々な要素で、いくつもの大小の歯車がかみ合ってじわじわと動いている。

 

それは複雑で巨大な仕掛けに見えて、実は単純極まりない構造である。

 

そして歯車の組み合わせによっては摩擦やリズムの違いを生む。

 

しかしそれらの不都合は、大きな歯車を回す力によってねじ伏せられる。

 

ひずみはひずみとして存在し、それを生む小さな歯車の歯は欠けたりすり減ったり、歯車自体が反ったり脱落したりする。

 

そうやって、この途方もなく大きくそして単純な機械仕掛けの世界は、今も、ギュウ、ギュウ、と物理の中で生きる人々の思いを噛み込み、大きな歯車のリズムで回っていく。

 

無数の小さな歯車は思い思いに回るが、それらが同じリズムで一斉に回り始めたら、大きな歯車の力をねじ伏せることができるだろう。

 

ねじ伏せられた大きな歯車の歯はボロボロにかけるか、全体が反り返り、これまでのようには回ることができなくなるだろう。

 

その時に、物理を超えて何が起きるか、我々にはわからない。それは人間の仕業であり、人間の思念は物理を超えられるはずだから。

 

とにかく、今もこうして絶え間なく回っている無数の歯車の組み合わせでできたこの世界は、ついさっきも、反ってしまった歯車や欠けてしまった歯車を、宇宙の底にバラバラと落としながら、少し離れてみれば全体としては優雅な旋律で、さもそれ自体がバランスをとっている”かの様に”回っている。

 

(続く)