人生100年の仕事

 

新たな価値を創出する仕事というと、広義すぎて袋小路に迷い込む。

 

ひとの価値観は様々で、幸せへの欲望は無限に増幅し、その名のもとにはびこる力があり、その利権が価値という言葉にすり替えられる。家族の役に立っている、という立て付けは少しちがう。

 

困っている人の役に立つ仕事というのは、逆に狭義であり、困っている人の利益になることがわかっていて手を差し伸べるわけだから、すり替えが効かない分だけ手触りはリアルだ。

 

よっちゃんにどう伝えようか。

 

僕は今、価値を創造すると謳う仕事についていて、それを自分の言葉に置き換えられず、かといって困っている人の役に立っているかといえば、どちらかというとはびこる力に利用されている現実をそのまま受け止められず、彼らの役に立っているという言葉にすり替え、舞台に立ってありがたがられる役を演じ、観客が喜んでいるのかわからないままでその物語は飾り立てられた手触りのないクライマックスを何度も迎える。袋小路に迷い込んだまま、何年かが経とうとしている。昨日も、今日もそうだ。そして明日も。

 

一事が万事というけれど、オリンピック代表に漏れた彼女を思うとそれはあまりにも残酷だ。僕は、今この手に抱えている重たいものでさえ、人生の一部、僕の一部でしかなく、それだけが人生や僕自身を左右するものではないのだと、むしろ信じたい。